パラッツォの闇2018/01/29 19:58

つい先日、来年からクレモナの学校に通う予定だという20代の青年がやってきた。
イタリアの生活や学校の様子などの話を聞きに来たわけだ。

僕がクレモナにいたのはもうずいぶん前のことで、古い話ばかりになってしまう。
実際、学校のカリキュラムは当時とはだいぶ変わっているらしい。
通貨だってあのころはリラだったしな。
でも今でも恐らく、建物なんかは全然変わってないはずだ。


学校が入っていた建物はパラッツォ ライモンディ
数百年前に建てられた「ライモンディ宮殿」である。
宮殿と呼ぶのは大げさかもしれないが、大きく立派な建物なことは確かだ。

パラッツォ ライモンディには普段はあまり使われていない部屋がひとつあった。
その部屋は、壁の一部はレンガがむき出しになっている。
やけに高い天井は升目状に仕切られて、それぞれの枠の中にたぶん木で作られた花か何か、オブジェが金箔で装飾され、照明をあびて輝いている。

実はこの部屋の壁と天井は、このパラッツォの建造された西暦1500年ころのままの姿であるという、貴重な部屋なのであった。

普段は使用されないといっても立ち入り禁止とか保存に気を遣っているとかそういうのではなく、オーケストラの練習はその部屋で行われていた。
要するに、他に場所がないときに使う部屋であろう。

オーケストラは、まあ部活動みたいなものだろうか、せいぜい十数人の編成で、生徒の中には元プロ奏者やアマチュアでもかなりの腕のやつもいて、そういう生徒を中心に室内楽をやっていた。

問題があった。
普段この部屋が使われない理由がここにある。
暗いのだ。暗くて楽譜が見えない。
部屋の両側の壁に2個ずつ、計4個だけの電灯は、上を向いて自慢の高い天井を照らしているのである。
窓は二つあってもそもそも面積が小さい上に、クレモナの冬は朝でも昼でも夕方でも一日中薄暗い。

指揮の音楽教師も含めみんなで暗いことにブーブー文句を言って今日も練習は終わるのだった。

まああれだ。4個の電灯は500年前だとロウソクなわけだ。
ここで煌々とライトをともしちゃったら台無し。ってことだな、そりゃそうだ。


i giorni della merla イ ジョルニ デッラ メルラ2018/01/30 22:39


先週の大雪ではここ茨城県中央部でも数年ぶりに30cmくらい積もった。
その後も気温があまり上がらず、今も日陰にはだいぶ残っている。

そういえば今は1月の末ではないか。
どうりで寒いわけだ。
まさに今が、一年で一番寒いのだから。


ラボラトリオ(楽器製作)の授業では一人一台のbanco(バンコ 作業机)があって、マエストロ(先生)が巡回しつつ個別に指導する、そういう方式だった。

僕のbancoは教室の一番はしで、となりは17歳のイタリア人、ファビオの席だ。

僕はいつも彼としゃべって、普段の生活、何食べたとか、彼女とどこ行ったのかとか、わからないイタリア語とか、いろいろ聞いていた。

その日は何も質問していないのに彼のほうから話してきた。

「今のこの時期のことを i giorni della merla (メルラの日々)っていうんだ。理由は知らないけど」

僕は 「何? メルラ?」 と辞書を引く。
メルロは鳥の名前で、ツグミの仲間。クレモナでもよく見かける、ハトとスズメの中間くらいの大きさの真っ黒い鳥だ。メルラはその女性形、つまりメス鳥である。

こういう話をしているとすぐにマエストロがやってくる。
授業中のおしゃべりを注意しに来たわけでは決してない。

「ファビオ! i giorni della merla は金土日か? 土日月か? まあいい。 ひらはーら、正確にいつなのかわからないが、一月の末の3日間のことを i giorni della merla というのだ。知ってるか? メルラはおかあさん鳥で、今頃は卵を抱いている。普段は10分くらいとかは卵を抱くのをやめて自分の餌をとりに行くが、一年で一番寒いこの3日間は少しでも巣を離れると卵が死んでしまう。だからメルラはじっと、何も食べずに3日間、巣で卵を抱き続ける。これが i giorni della merla だ。」

「ほう、そうですか」 と僕はノートに i giorni della merla と書く。
するとマエストロは満足そうに去って行った。


前にスペイン人が
「夏には暑すぎて仕事ができないんだ」
と真顔で言っていたのを思い出す。

そう、あの辺のラテンの国々では寒すぎても暑すぎても仕事は休むべきなのです。マジで。



( i giorni della merla には諸説あるようです。一般的に野鳥の産卵期は冬ではないようです。)